雑記帳

  (般若湯2009年11月12日)  ペリー石垣恵美子

『黄色い人』遠藤周作 講談社1976

遠藤の『白い人』については本年7月9日の「般若湯の会」で発表した。その続編とも言われる『黄色い人』は、『白い人』が1955年5月―6月「近代文学」に発表された後、同じ年の11月に「群像」に発表された。発表当時、日本人における罪の意識の欠如を描いた問題作として議論を呼んだ作品である。 B29の来襲下、ブロウ神父にあてた主人公千葉青年の手紙と、背教者の元神父デュランの日記とが章ごとに交互に並ぶ。日本全体が人殺しの戦争を続けるなかで千葉は言う「・・・あるのは深い疲れだけ。ぼくの黄ばんだ肌のように濁り、湿り、おもく沈んだ疲労だけのです」。千葉は迫り来る死の予覚の中で疲れ果て、人種差別を主張することで言わば自己を正当化しようとする。 一方、背教者デュランは恩人であるブロウ神父を密告する。ブロウは犠牲に甘んじる覚悟でデュランに言う「安心しなさい、そしてすべてを忘れなさい」。これはカトリック教会での告解( confession) =罪の許しの秘蹟の言葉である。ブロウの涙は、裏切られた者の悲しみ、そして自分がその裏切りの犠牲とならなければならない故の涙と解される。「カトリシズムはカナの奇跡ですよ」と彼は言う。それは水を葡萄酒に変える、すなわち異種のものを別のものに変える、「白い人」を「黄色い人」に変える、東西文化論・東西の伝統の懸隔や質的相違は問題ではないのだと作者・遠藤は主張し、そのテーマは『青い小さな葡萄』へと続くのである。

 (般若湯2009年11月12日)  ペリー石垣恵美子

『青い小さな葡萄』遠藤周作 講談社 1976

本書は『白い人』『黄色い人』が出版された翌年の1956年、「文学界」に半年に亘って連載された。遠藤は『白い人』『黄色い人』で白人の神であるキリスト教の世界を通して、白人と黄色人の葛藤を追及した。『青い小さな葡萄』は、神とヒューマニズムと欧米の三者の構造を多角的に焙り出そうとした作品といえる。
黄色い日本人・伊原が主人公。時は戦時下の南フランス。そこに登場するのが戦争で片腕を亡くした独逸人ハンツ。彼はスザンヌ・パストルという娘を探しにリヨンへやってきた。ローヌ・マキ団というナチ抵抗自衛隊に狙われて逃げる途中でスザンヌに助けられたのだが、そのとき彼女は青い葡萄の入った紙袋をハンツに渡す。
伊原は呟く「黄色い俺が白人のハンツと飯を分け合った友情らしいものも、結局は共犯者同士(注:戦時中ドイツとイタリアと日本は枢軸国として同盟関係にあった)の狎れ合いがなければ生まれないのだ」と。伊原は、青い小さな葡萄に象徴されるスザンヌの消息探しをするハンツに協力することになる。カトリック信者(表向き)の伊原、新教徒の独逸人ハンツ。ユダヤ人を処分した収容所ガス部屋の光景やポーランド人で畸形児のクロスヴスキイと愛人のエバなどが関わりながら、スザンヌ探しの物語は展開する。伊原の胸には「ヒトゴロシ、ヒトゴロシ」と怒号したフィリピンの群集の呻きが重なる。

Xという人物が登場する。Xはローヌ・マキ団の複雑な内情を次のように語る「今までは我々もカトリックの連中や共産党とも手を握ってナチと闘ってきた。だがこの運動の背後には人間のあさましい本能と策謀があった」と。伊原、ハンツ、クロスヴスキイ、エバの4人は真相を求めて南フランスの片田舎・フォンスの部落の井戸を探しに出かける。8年前その井戸にマキたちが死体を投げ込んだとされ、たぶんスザンヌも井戸に屠られたのではないかと彼らは考えたからだ。
伊原はモンドンという人物が書いた手記を手にいれる。それによれば抗独運動者(注:マキ)の中にピション派というのがあり、彼らは邪魔になる者を密告して投獄・私刑する権力を持っていたというのである。モンドンは次のように記す「私はながい間、抗独運動を人間の正義の象徴だと考えてきた、思想や主義こそ違え、キリスト教徒も共産主義者もヒューマニストもナチズムという暴力に対して手を握って戦う美しい運動だった筈である、それが今日、この醜い人間の本能、権力を前に穢れつつあるのだ」「ピションの仲間たちは20名の嫌疑者を裁判にすらかけず(中略)、死体を井戸の中に投げ込んだ」「悪に対する憎しみはまた悪を生んだのだ、大事なことは彼等がそれを正義の名のもとにやったことなのだ、正義の名のもとに拷問とテロリズムとが行われたことなのだ」etc。
 最後に、一人になった伊原は独白する「・・・くたびれた表情で歩いてゆく人間の河、あのとき俺はその河に青い葡萄を求めるむなしさを感じていた、ハンツには逃れていく教会がある、が教会のない俺は創るしかないのだ・・・」 遠藤は先ず、白い人と黄色い人、汎神論的血液と一神教的血液の対立、欧米の神と日本の神の関係を鋭く追及する。表面では極めて欧米的だが意識の中では反欧米であろうとする日本人の衝動、さらに、正義の名のもとにテロリズムが正当化されるという重い課題にメスを入れようとする。 後者は今日的な世界的課題でもある。本書のタイトル「青い葡萄」の青という色は、この課題克服の象徴のように私は思える。白でも黒でも黄色でもない青という色が小さな希望の色を象徴しているように思える。そして、葡萄は水をぶどう酒に変えたカナの婚礼を連想される。カトリック信者であった遠藤の微かな希望が「青」に閃いているように私には思えてならない。「青」は海の色でもある。このテーマは遠藤の次の長編小説『海と毒薬』へ引き継がれていく。

(般若湯2009年11月12日)  ペリー石垣恵美子

『海と毒薬』遠藤周作 講談社1976

本書は1957年、6月、8月、10月と3回にわたって「文学界」に連載された作者・遠藤の最初の長編小説である。作者自身に近似した平凡な会社員「私」の現在時点を叙述する第1章の冒頭部と、過去の戦時中の米兵生体解剖事件を描く第2章以下とに大別される。 戦後の平和な、しかし砂漠のような日常の中にも戦争の残骸が隠されている現実を記す第1章に対して、次の章からは戦時下のショッキングな事件へと突入する。
主人公・勝呂や戸田が働いている大学病院では、医学部長の席をめぐって教授たちの陰湿な争いがつづく。権力争いは死ななくてもよい患者を手術で殺し、時代の最高権力者軍部に接近し、ついに軍部の「好意的な申出」を受けて米兵捕虜の生体解剖へと突き進んでいき、下級医局員である勝呂や戸田、看護婦の上田らは巻き込まれてゆく。
作者が最も力を込めて描きだしているのは、同じ事件に立会い巻き込まれた人間たちの位相だ。生体解剖という非人間的行為が、結局は「世間の罰」を受けるにすぎず良心の呵責にまでたどりつくことはないと主張する戸田、平然と日常生活にもどる上田看護婦、したたかに保身しか考えぬ浅井助手、「こいつは患者じゃない」と怒鳴る橋本教授、捕虜の肝臓を酒の肴にする軍人たち・・。これに対して勝呂は、生態解剖を良心に照らした「罰」として受け止めようとする。
彼は一人、屋上に残って闇の中に白く光っている海を見つめた。海は孤独、永遠的なものを象徴し同時に恩寵を意味している・・・人間社会や組織を超越したなにか運命的な力を持った存在、すなわち神を示すイメージを暗示している。しかし勝呂にとって生きるべき道は閉ざされており、そこには暗い絶望しか見出されなかったのである。 作者・遠藤は、戦時中の青年たちの位相(第2章以下)と、戦後の大人たちの位相(第1章)を描きわけ重ね合わせることで日本人の精神構造の特質、その絶望的なほどの没倫理性を明らかにしようとしたが、これは今日の日本人にも当てはまる大テーマでもある。 白い人と黄色い人、汎神論的血液と一神教的血液の対立というテーマは克服されたのであろうか。本書では、黄色い日本人が白人の捕虜を生態解剖するという行為を通して罪への自覚、良心、そして「海」をもってくることで神の存在をイメージしようとした。

 (般若湯2009年11月12日)  ペリー石垣恵美子

『松葉杖の男』遠藤周作 講談社 1976

 
本書は『海と毒薬』の続編のような形で一年後の1958年10月、「文学界」に発表された。戦時下に暗い青春時代を送ったことによって深い傷を負った精神科の医師の菅は、心理的な原因で両足が硬直した患者・加藤の心因が戦時中の捕虜の虐殺にあったことを突き止める。原因がわかりながら治療のてだてがなく、松葉杖をついて帰る患者の後姿を見送りながら、菅は「あれは俺たちの世代の姿だな、今日も加藤を治すことが出来なかった、俺を治すことができなかった」と自分に言い聞かせるのだ。

 遠藤を含めて戦中派と称せられるこの世代は、被害者であると同時に加担者・加害者でもあったのも事実で、このような複合した問題を遠藤は自らの手で捕らえ直そうとした。今日、アメリカを初め世界各地で帰還兵たちの心因性疾患が多発している現実を思うとき、この問題の根深さを思わされる。

 (般若湯2009年9月10日)  ペリー石垣恵美子

『俳句・短歌・川柳にみるハワイ日本人移民史』 島田法子編著

  文科省平成18年度 科学研究費基盤研究C 2009年3月発行(非売品)

編著者は日本女子大学文学部教授。共著者の高木(北山)真理子は愛知学院大学文学部教授。2部より成り、第1部は、「俳句と俳句結社にみるハワイ日本人移民の社会文化史」「第二次世界大戦をめぐるハワイ日本人移民の忠誠心と日本人意識-俳句・短歌・川柳を史料として」「俳句から見る日系移民の姿(1930年―1960年)―ハワイ島を中心に」「俳句・短歌・川柳を通してみる一世女性の心情―ハワイ社会史の一ページとして」から成る。第2部は、ハワイ日本人移民の俳句・短歌選集で、移民の初期からサンフランシスコ条約発効までの期間、彼らが残した作品約1000点を英訳と共に掲載している。

本研究を通して私は、初めてハワイにおける俳句の歴史を知ることができた。俳句結社として記録に残っている最古の組織が「エワ土曜会」で、奴の奴という俳号をもつ石栗半九郎の創設によるとのこと。彼は1899年(明治32)、24歳で契約労働者としてハナ夫人を伴って来布。1901年、土曜日夜、定期的に石栗氏の家で句会が催されたという。その後、水無月会、ヒロ蕉雨会、火星俳句会、村雨会、仏教青年俳句会、布哇俳句会、「ゆく春」俳句会などの活動とともに「布哇歳時記」の記述が光る。現在、私が所持しているのは1970年版だが、初版は実に1913年だったことがわかり驚いた次第である。(短歌・川柳については省略)

『From Kokoro to Kokoro: University of Hawaii

Japanese Poetry Contests 1999-2008』Gladys Nakahara, Ph.D. 他

本書はハワイ大学の日本語詩歌コンテスト(自由詩・俳句・短歌)の作品集で、1999-2008年の10年間の受賞作品が、日本語ととも流暢なGladys Nakahara先生の英訳とともに綴られている。授業で学んだことを基礎にしながら、学生個人の体験や感情を自分の言葉で表現することを奨励し、さらにそれを発表するする場を提供するということを目的としてスタートしたとのこと。このコンテストは今では、日本語を外国語として学ぶ学生たちが楽しみにしている恒例の行事となっており、応募を楽しみにする学生も増えていると聞く。美しい自然を詠んだもの、青春の悩み、喜び、悲しみ、学生生活など学生の身近な題材を扱った作品が多い。今ではウェブサイトを通して日本語教材の一部としても注目されている。挿絵も楽しい。指導してこられた先生がたのご苦労が偲ばれる。 全106ページ。
 
(般若湯の会:2009年9月10日発表)  ペリー石垣恵美子

『MIX 45-ハワイ在住20年』 本庄 謙 新風舎2007

本書は前回の般若湯の会で西脇氏が発表しておられるが、私も感想を述べてみたい。副題に「異色ビジネスマンがつづる随筆集」とある。そう、著者はアメリカで日本の大衆薬開拓の先駆者となり、FDA関係および医薬品情報コンサルタントとして独立、ハワイで輸出入卸業や小売業で幅広い活躍をしながら随筆をハワイの新聞・イーストウエストジャーナル等に定期的に寄稿。多くの単行本も著した正に異色の随筆家である。般若湯の会にも出席されていた。今年7月1日にご逝去。本書「MIX45」が最終著書である。
本書には45の随筆がランダムに並んでいる。興味深く読んだのを選んでみると、1.国旗, 3.グエンと太閤秀吉, 10.バイアグラ騒動, 12.おいおい、そんなに急ぐなよ時間さん, 22.シニアですか? 30.頑固者の亭主, 35.米国の墓地巡り, 38.夢って実現するんだ, 42.宗教と人間, 44.余りにもつらい儀式 etc. いずれもユーモアと含蓄があって面白い。

私個人の経験と重ねて、1.国旗 について感想を記してみよう。この章は、日本国籍を持ちながらハワイに住んで星条旗に最敬礼する著者の小学生の息子さんの話である。文中に <国旗(や国歌)に敏感な日本国民>とあるが全く同感。 私は1931年から2002まで日本で暮らしたが、少女時代に受けた愛国教育=国旗掲揚と敬礼は徹底したものであった。東京・大泉師範学校付属小学校での軍国教育は、本庄氏の経験より遥かに凄まじいものではなかったかと思う。毎朝、君が代に合わせて国旗が掲揚されるのだが、当番(6年生)で綱を引くときの速度、旗の昇り具合に手と首をあわせる、「なおれ」の号令がかかるまで国旗を見詰めていなかればならない等、思い出すと今でも首が痛い。何しろ先生たち、とくに軍服を着た教練の先生が恐かった。

終戦を境にアンチ日の丸のムードとなりホッとした。反戦運動、平和運動、安保闘争、日教組と教育界、教研集会でのアピール、学習指導要領と日の丸、イスラエルで暮らしてホームシックになりスエズ運河で日本の貨物船の日の丸を見て涙した経験etc。 そしてハワイへ移住後、夫ギルバートやその朋友たちの星条旗への筋金入りの驚くほどの忠誠心、宗教と星条旗の無理のない一体感(教会堂の星条旗、礼拝中に歌うアメリカ讃歌など)など、実に複雑で曲折のある私個人の経験とダブらせてみて、この矛盾を放置してよいのだろうかという思いに駆られる。
ごく一般の日本人個人個人には、自国のシンボルである国旗や国歌を尊重したい気持ちは皆無ではないのだろうが、風潮として自分が右翼の仲間だと思われたり軍国主義者と思われたら困る、なるべく目立たないようにしたい、という事なかれ主義が蔓延っている。 今反省してみると私自身、日本で暮らしていたころは事なかれ主義に染まっていた。愛国心と日の丸については以前、木曜午餐会でも述べたことがあるが、今回も改めて本書に啓発された次第である。

(般若湯2009年8月13日)   ペリー石垣恵美子

『1Q84』BOOK 1-2  村上春樹 新潮社2009/

本書は、青豆という奇妙な名前の女性と、著者の分身と思われる天吾の物語が交互に語られる構成になっている。青豆は謎の老婦人から女性に理不尽な暴力を振るう男の殺しを依頼され実行する。天吾は予備校の数学教師の傍ら小説を書いているが、出版社から依頼されて新人賞の下読みもしており、応募してきたある少女の奇妙な小説を賞を取らせるために書き直しをする話が進むにつれて青豆と天吾は互いに惹かれあっていることがわかるが、1Q84という閉じられた世界で普通には不可能で不思議な恋愛が展開する。天吾は、新人賞応募作品を書き直しするうちに、謎の新興宗教に関わることになり、物語は1984年の外側にある1Q84年、つまり月が同時に2つ見える世界、これまで外側にあったはずのものが小説の中心となって不気味な想像の世界、分裂世界に突入していく。

帯の言葉:上巻=「こうであったかもしれない」過去が、その暗い鏡に浮かび上らせるのは「そうではなかったかもしれない」現在の姿だ。下巻=心から一歩も外へ出ないものごとは、この世界にはない。心から外に出ないものごとは、そこに別の世界を作りあげていく。そうかもしれない。だが、読者はさまざまな読み方が可能である。私は2つ点(私にとっては少なくとも別の世界)からこの作品を読み解いてみたい。

1.新興宗教について。

1984年当時そして今日においても、日本には多くの新興宗教が存在する。特に日本人の意識に新しいのは「オウム真理教」で作品の中では「さきがけ」および「あけぼの」の名で登場する。教義は仏教の一派・密教を基に作られたとされ、作品モデルには日本赤軍やコミューン山岸会らしき翳も仄見える。実態のみえない怪物のような存在を、「ふかえり」と称する少女作家の作とされる「空気さなぎ」という小説を通して巧みに描く。ふかえりは少女時代に特異な体験をするが、それが基となって「さきがけ」の実態が暴かれていく。
もう1つの新興宗教は作品の中での「証人会」で、モデルにはキリスト教の一派だとされる「エホバの証人」「ものみの塔」「統一教会」などの翳が仄見える。オウム真理教は衝撃的な殺人事件を起こし、マスコミが大々的に伝えたので大衆の知るところとなっているが、私は、あまり知られていない「証人会」即ち「エホバの証人」に興味を覚えた。

豊臣秀吉によるキリシタン禁制以来、邪教とされたキリスト教は明治以降に解禁となった。しかし現在でも、遠藤周作「白い人」でも指摘されているが、キリスト教は白人に象徴される欧米の宗教で一般人に認知されているとは言い難い。日本におけるキリスト教信者は、カトリック、プロテスタントを合わせても人口の一割程度である。ところが、キリスト教的新興宗教「エホバの証人」は急速に勢いを増して、一時期、俄かに衆目のマトとなった。(本部はニューヨークのブルックリンにあり、マイケル・ジャクソンも信者だとされる)。作品の中にもでてくるが、パーマも化粧もしない一種異様に質素な身形で各家を回って訪問伝道をする(大方はインターホン越しの伝道でチラシなどを置いていく)。

彼らは極めて教義に忠実で、例えば輸血を拒否して教育委員会や学校(体育活動ができない)などで問題となり、一時マスコミを賑わせたこともあった。日本で私が教えた大学でも学生の中にこの教派の信者がいて問題になったことがあった。
私がイスラエルに留学(1982‐3)していたとき「エホバの証人」のリーダーと信者たちは度々イスラエルを訪問し、派手な行動でイ国マスコミに何度も登場した。大きなダビデの星入りの揃いのハッピを着てシャロームの歌を歌いながらテルアビブの大通りを行進する日本人グループは概ね好意的に歓迎され、新聞エルサレム・ポストでは写真入りで “New Zionist from Japan” などと報道された。同じ日本人として気恥ずかしい思いをしたことを今でも思い出す。個人的印象だが、彼らの教義はキリスト教的というよりもユダヤ教的でカバラ神秘主義やメシヤニズム的ガ強いのではないか。彼らはイ国で「ヘフチバ」と称する宗教キブツと提携して、定期的に交代で日本から信者を送り込んで訓練した。作品を読むと、著者が詳しく研究していることが判る。彼らは幼児期より徹底的に洗脳された。著者はこれらを、もう1つの世界・月が2つある世界すなわち1Q84の世界を配することで物語を進める。
このような新興宗教が、なぜこの時期に急速に日本で勢力を増したのか。著者はこれら日本社会の問題を提起しながら多方面から核心へと筆を進める。個人的印象だが、日本には根強い汎神論的な精神土壌があったこと、現実社会が息苦しくて希望が持てなかったこと、安保闘争・全共闘後の時代すなわち1980年初頭の若者たちは強いリーダーを求め突破口を見つけたがっていたこと、などがあげられると思う。

 青豆をめぐる関連性について。

作品の中では青豆の母が証人会の信者で、青豆も少女時代を証人会の極めて教義的に閉ざされた厳しい中で過ごし、長じて母と袂を分かつ。ふかえりも青豆も少女時代をカルト的な特異な環境で育ったという共通性を有している。
青豆はマーシャルアーツのインストラクターであり殺し屋でもある。DVに悩む女性は多く、男性から理不尽な暴力を受けた女性たちを救うために、その男性を心臓麻痺に似せて殺す仕事を謎の老婦人から請け負っている。生命保険を掛けた後に暴力夫が心臓麻痺であの世に行ってくれるのは、ある意味で現代の女性たちの密かな願望かもしれない。
青豆は自発的に能動的に「性」を楽しむ。そこには嘗てのボーヴォワールの「第2の性」の悲しみはもはや存在しない。作品の中では、それらは1Q84の世界・月が2つある世界・想像の世界で展開させる。性暴力、生と死、天吾との純愛、さまざまなテーマが作品の中で青豆との関連の中で展開する。最後に青豆が最新式の拳銃で自殺する直前、彼女は、決別していたはずの証人会で教え込まれた祈り(キリスト教の主の祈りに似ている)を唱えるのが印象的であり象徴的だった。青豆の思い・祈りは天吾に届く。「青豆、と天吾は言った。僕は必ず君をみつける。」「・・月が見えなくなると、もう一度胸に温もりが戻ってきた・・確かな温もりだった・・(中略)これからこの世界で生きていくのだ・・・(中略)青豆をみつけよう、と天吾はあらためて心を定めた・・」純愛で最後が総括されている。
私は、次のような俵万智の最近の短歌を連想した。
いのちとは心で感じるものだからいつでも会えるあなたに会える

(般若湯の会2009年7月9日) 
『白い人・青い小さな葡萄』遠藤周作文庫 講談社1977
「白い人」は遠藤周作のフランス・リヨン留学中の体験を下敷きにした作品で芥川賞受賞(1955年)。自分の過去と現在を絡ませる形で登場する「私」、カトリック神学生ジャック・モニック、彼の女友達マリー・テレーズの3人を中心に物語は展開する。ジャックを拷問するのはリヨン占領下のドイツ軍の秘密警察(ゲシュタポ)の通訳をする「私」で、自ら進んでナチの協力者になって同胞を責め苛む加虐行為に異常な喜びを覚えてしまう人物である。遠藤は、出発点から神のない人間の悲惨さを烈しく問いかける。この場合、神とはカトリックを通して姿を現すヨーロッパの神、白い人たちの神である。カトリック文学に対する距離感、つまり日本人が本能的にもっている汎神論的血液と一神教的血液との対決という手法で、皮膚による差別の構造にぶつける。白がピュアーな色で黒は罪の色(黄色も同じ)。白人のすることは何でも善で神聖で、自分たちは苦しみ諦めなければならない人種、カラーは罪びとの色。白色の前に黄色い自分を侮辱しようとする自虐感、有色のアジア人に属しながら最も欧米的である日本の近代的コンプレックス、それを支える汎神論的血液の位相。複雑な中で世界に棄てられている孤独な日本を、遠藤は苦しげに描く。

このテーマを遠藤は如何に克服していくか。「黄色い人」(1956)に期待したい。
生まれながらのカトリック教徒である夫は、何の疑いもなくカトリックが唯一の正しい宗教だと信じ込んでいる。アメリカの白人社会に根を下ろした善意人間であるが、言葉や態度の端々に表れる意識・無意識の根底には白人優位を当然のこととしている。遠藤流の「白い人にだけ生の価値をあたえようとする神を告発すること、そういう欺瞞のイデオロギーによって組み立てられている欧米の文明体系と文化の仕組みを告発すること」が本書の目的だったと思う。ハワイ移住以後、特に私自身が漫然と感じてきたテーマに、私自身が真正面から対決するきっかけを作ってくれた。解決の1つは「カナの婚礼」にあることが示唆されている作品である。「青い小さな葡萄」は次回に。

『それでも恋がしたいあなたへ:私の体験的恋愛論田島陽子著 徳間文庫1999
女性学研究の第1人者でメディアでも活躍する著者が、自分の3つの恋愛体験、即ち①津田塾大大学院博士課程在学中の恋、②イギリス留学中に体験したベルギー貴族との恋、③ロンドン大学訪問研究員の時代に続く5年間にわたる遠距離通い婚、そして別れ。これらを通して「私が私であること」を追求する。著者いわく「恋人との5時間を充実させたかったら、独りでいる5時間が充実していないとダメ」「仕事を通してはじめて自分の個性があぶり出され、しかもそれを磨くことで人は成長する」と。
同感である、少なくと1999年ごろの私には。当時は仕事も子育てもと燃えていた。本書の出版は著者が53歳の時である。大学院教授という地位があるから仕事(学術研究)も充実する。退職して老後をハワイで暮らす現在78歳の私は、複雑な気持ちだ。

 

(般若湯の会2009年6月11日)  ペリー石垣恵美子

『民主党のアメリカ 共和党のアメリカ』冷泉彰彦著 日本経済新聞出版社2008

これまでこんな面白い本に出会ったことはなかった。民主党と共和党とどこが違うのか?単純ではない。建国以来変わり続けてきた複雑な対立軸について、歴史的な社会価値観やイデオロギーや政策の面だけでなく、両党のカルチャーについても興味深く視線の違いを記している。有権者の多くは両党を「スイング」して、政党間を行ったり来たりする。 まず両党のイデオロギーの激突について、著者は読者にわかりやすく:

民主党=過剰なまでの自己肯定   共和党=猜疑心と独立心の突然変異という語で纏めて、銃規制はなぜ進まないのか? 生命倫理がなぜ議論になるのか? 同性愛者の結婚と憲法修正問題など具体的に述べる。特に生命倫理=中絶問題は単に善悪の議論対象ではなく宗教や人生観の問題として堂々と語られ、この問題を理由にテロリズムにまで発展するのがアメリカの社会なのである。平たく言えば共和党がプロ・ライフ(中絶反対)、民主党がプロ・チョイス(中絶是認)ということで、大統領選では常に争点となるのだが、90年代までは中絶医師への襲撃が頻発したという背景もあって複雑極まりない。政治的に対立するメカニズムとして「強者による殺人の正当化という偽善」への怒りが、宗教の教義を越えて理屈を越えた感覚が「孤軍奮闘のヒロイズム」や異文化への嫌悪などと入り混じって増幅され、「中絶反対」という一点に凝縮されておりイデオロギーのメカニズムに沿って根深く深刻な対立になっている、と著者・冷泉彰彦は分析する。  私はアメリカに住むようになって驚いたことの一つに、中絶反対運動の凄さ・激しさ、とくにカトリック圏内における狂信的とまで思えるような現実体験がある。彼らは、同性愛結婚についても実に狂信的で凄まじい反対運動を展開する。  今一つ興味を引いたのは両党のカルチャーの違いである。著者は、民主党カルチャー=和解と純愛。共和党カルチャー=孤軍奮闘とほろ苦い人生、と表現してハリウッド映画を分析する。私も鑑賞したことのある映画を例にあげよう。 典型的なものとして「タイタニック」は民主党カルチャーである。悲惨な海難事故はあくまで背景であって、本題は、親が決めた縁談を蹴り階級差を乗り越えて結ばれるラブストーリーで、女性の自己決定権の獲得、一等船室の客と三等船室の客の生命の平等に関する無条件な賛美が描かれている。共和党カルチャーの色濃い作品の典型として「硫黄島からの手紙」があげられる。渡辺謙扮する栗林中将の「無益な死を強いる権力への反発」という思いが核になっており、民主党的な正義の追求とは一味違っている。大統領をモデルとした映画でも両党カルチュアーの違いが色濃い。「アメリカン・プレジデント」が民主党カルチャー、「インデペンデント・デイ」が共和党カルチャーだといわれてみれば納得する。 アメリカ在住の著者は、クールジャパン・日本と相性の悪い対立軸、特に外交問題について例えば、産業界の保護主義(民主)、小さな政府(共和)論など、歴代の大統領の政策をあげて分析。環境とエネルギー問題や教育をめぐる両党の対立軸等にも言及している。

(般若湯の会2009年5月14日)   ペリー石垣恵美子

『ハワイの歴史と文化悲劇と誇りのモザイクの中で矢口祐人著 中公新書2002
『アメリカを生き抜いた日本人-屈辱と栄光の百年』岡元採子著 日経新書1980
『アメリカのユダヤ人迫害史』佐藤唯行著 集英社2000



立て続けざまに3冊を読んで、人類の歴史の光と闇について思いを新たにした。日本人移民史については一応知っているつもりだったが、上記2冊に出てくる数々の事例や統計的史実、当時から今日に至る日本国政府と移民とのより客観的な詳しい実態の記述には、闇の部分、陰の歴史が明らかにされている。同化の難しさ、マイノリティとして生き抜く知恵、誇りと犠牲、民族伝統の継承など、問題点を改め認識することができた。

さらに、アメリカはもともと移民の国であるのに、何故かくも多くの人種差別が存在したのか?この疑問はユダヤ人迫害史を読んでさらに鮮明になった。
黒人や黄色人種が差別の対象になったことは文献等により明らかにされてきているが、何故、白人であるユダヤ人が迫害されたのか?自由と民主主義の国であるはずのアメリカが、表の顔と同時に、何故、かくも陰惨な歴史的汚点を残したのか?

私自身、個人的にもユダヤ人に関心を持ち、イスラエルには留学を含めて13回も渡航して博士論文まで書き、その民族的歴史や背景については一応知っているつもりだった。
ヨーロッパにおける反ユダヤ主義(アンチ・セミテイズム)、ナチスの迫害を逃れてアメリカを目指したユダヤ人のエクソドスはあまりにも有名である。ユダヤ人は2000年におよぶデイアスポラ(離散)の末、アメリカの地にようやく安住の地を築いた。今日、世界にはおよそ1300万のユダヤ人が存在するとされ、43%がアメリカに集中しており、イスラエル国を凌ぐ世界最大のユダヤ人口を有している。そのアメリカで、何故、かくも陰惨な差別と悲劇が繰り返されたのか。そして、迫害する側が常に多数派の白人プロテスタント・キリスト教徒だったという史実は、私にとって今も大きな衝撃であり続ける。
文中には多くの事実が記されているが、特に注目させられたのは、自動車王ヘンリー・フォードの7年間にもわたる反ユダヤ・キャンペーンである。我が家の車もフォードで、なかなか乗り心地もよく気に入っていたのに複雑な気持ちになってしまう。

1920年から7年間、Dearborn Independent というフォードが社主の新聞に反ユダヤ・キャンペーンが91回も連載され続けた。長期間にわたる持続性と発行部数の多さという点でアメリカ史上で最大のものであったという。連載された内容は特集記事として「国際ユダヤ人」という題名で出版され、世界16ヵ国語に翻訳された。1927年に日本でも二松堂書店から「世界の猶太人網」という題名で出版されている。これが火種となって、1987年以降、日本でも反ユダヤ主義的出版物、ユダヤ人陰謀論がブームとなった。ほんの一例だが、歴史の両極面を学ぶことで人類の営みの重さに少しばかり触れることができたように思う。

(般若湯の会2009年4月9日)   ペリー石垣恵美子

遠藤周作『落第坊主を愛した母』[監修=山根道公]海竜社2006

遠藤周作没後10年、遠藤文学研究家の山根道公の監修による。遠藤文学を特徴づける根源的なモチーフ〈母なるもの〉に焦点を充てて彼の作品11(抄):『母と私』『船を見に行こう』『童話』『私のもの』『影法師』『六日間の旅行』『母なるもの』『ガリラヤの春』『還りなん』『クワッ、クワッ先生行状記』『深い河』を抜粋して短い解説をつけている。本のタイトルからは如何にも慈悲深い女親のイメージを受けるが、母・郁は東京音楽学校(現・東京芸大)のヴァイオリン科を卒業した意志の強い烈しい人であった。満州・大連で周作が10歳の折、郁は夫と離婚して子供2人をつれて神戸に戻り、以後、カトリックに帰依する。遠藤の兄は神戸の名門校・灘中4年で一高に進み、一高2年で東大法学部に進学した秀才だったが、弟の周作は学校の成績が悪く高校受験も3年浪人。常に秀才の兄と比べられて遠藤は自らを「落第坊主」と自称している。

そんな彼を母だけは兄と比較することなく「あなたは大器晩成よ」と励ましたという。一方で母は厳しい祈りの生活を自分に課し、子供にもそれを要求する。後年、遠藤はその母のお陰で怠惰でぐうたらな自分はより高い世界の存在を魂の奥に吹き込まれたと感謝しているが、18歳のときには母の厳しさに耐え切れず父のもとに逃げ出す。そんな息子を許し愛情を注ぐ母への思慕と、その母を裏切ったという痛みとうしろめたさが11の作品に凝縮されている。巻末に記された遠藤とその母・郁の詳しい年譜は、彼の文学のモチーフ〈母なるもの〉、そして〈日本人とキリスト教〉という重いテーマの追求と理解を深めてくれる。

(般若湯の会2009年4月9日)   ペリー石垣恵美子

『キリスト教を問いなおす』土井健司著 筑摩書房2003


平和を説くキリスト教が、なぜ十字軍など戦争を起してきたのか? キリスト教信者には偽善者が多いのではないか? 信仰心に篤い人が、不幸な目に遭ったりするのはなぜか? などの疑念に迫ろうとして書かれた本。4つの章から成るが、第1章が興味深い。大儀から外れた十字軍、キリスト教徒から迫害され続けたユダヤ人、権力と結びつくキリスト教、社会をまとめる力とキリスト教、など広い視野から今日的テーマを論じている。1962年生まれの著者は京都大学大学院文学研究科でキリスト教学を専攻し95年に博士号取得。ふつうの日本人の視線でキリスト教を考えてみたいというのが本書の課題だとしいる。

現在、日本在住のクリスチャンは人口の約2割程度である。程度の差はあっても、世襲の宗教ではなく、殆どの者は自己と向き合って自覚的に決断して洗礼を受けていると思う。著者は、日本人を対象にキリスト教を根本から問い直す作業を続けているが、アメリカの世襲クリスチャンの多い中で暮らす我々からみても面白く、考えさせられる本である。

(般若湯の会2009年3月12日)   ペリー石垣恵美子

『母の色は水の色12人の子を育てた母の秘密ジェイム・マクブライド著 

原書名:The Color of Water: Black Man’s Tribute to His White Mother

長野きよみ訳 早川書房1998

英語の副題のごとく、本書には黒人ジェイム・マクブライドが白人の母ルースへ捧げた賛辞と、母が息子へ語る回顧録とが章ごとに交互に記される形で構成されている。
1921年、ルースは正統派ユダヤ教ラビの父と身体障害者の母から生まれ、4歳のときポーランドからナチスの迫害を逃れて一家でアメリカに移住した。1942年に黒人アンドリュー・マクブライトと結婚して8人の子どもを設ける。著者は8人目の子どもだが生まれる直前に父は死亡。その後、母は黒人ハンター・ジョーダンと再婚して更に4人の子どもに恵まれるが、その夫にも先立たれ、食べるのがやっとという貧しい中で計12人の子どもたちを全員大学へ行かせ、その多くは大学院へ進んで、医者、教授、化学者、教師になった。母自身も65歳で大学で社会福祉を学んで修士号を取得、ホームレスの十代の母親たちの緊急センターでボランテイアとして働いているという(1996年現在)。
発売以来、本書は70週連続でベストセラーになったと当時のニューヨークタイムスは報じている。書評には、「あらゆる信条と人種の人に読まれるべき感動的で忘れ難い作品」「喜びと刺激と霊感の書であり、読者が時間を費やし、いくらかの涙を流す価値のある本だ」などと書かれているが、私には、生々しい現実生活の描写に受けたショックは大きかった。

ルースたちはアメリカ国内を転々とした後バージニア州サフォークに定住、父はラビのかたわら黒人相手の雑貨屋を開き成功する。黒人をバカにする自己中心的な父への反発、ユダヤ人のせいで同じ白人からも差別される中で、ルースはニューヨークに出て黒人と結婚。白人社会とくにユダヤ教社会からは断絶され、黒人社会からは奇異の目でみられながらも温かい家庭を持つ。しかし著者ジェイムが生まれたとき父は既に死亡。彼は、母と7人の兄姉と継父とその後生まれた4人の弟妹たちと、大家族の中でさまざまなことを乗り越えて成長していく。
実父も継父もニューヨークの黒人地区バプテスト教会の中心的な信徒で役員。ユダヤ教の中で育った母もバプテスト教会に心の拠所を得て、日曜学校で子どもたちへの宗教教育に力を入れる。少年時代の著者は、教会で母親一人が白い皮膚で目立つのを恥ずかしく感じる。黒人小学校では、自分の皮膚の色が薄黒くて真っ黒でないためイジメを受ける。それを母のせいにして荒れる。
あるとき教会で、母が賛美歌を歌いながら涙を流しているのをみて著者は尋ねる、「どうして教会で泣くの?」「だって、神様がハッピーにしてくださるからよ」。

また次のような質問をする、「神様は黒人なの?白人なの?」。母は深い溜息のあとで「そうねえ・・神様は黒人じゃない、白人でもない、霊なんだよ」「黒人と白人のどっちが好きなの?」「すべての人が好きなんだよ、霊だからね」「霊ってなに?」「霊は霊さ」「神様の霊って何色なの?」「色はないよ、神様は水の色、水には色がないだろ?」
母は自分の出自について全く語ろうとしなかった。子どもたちは大きくなるまで母の旧姓すら知らなかった。著者は言う、母の類い稀な歴史を掘り起こすのに14年かかったと。
1980年、ジャーナリストになっていたジェイム・マクブライドは、彼の書いたある記事を通してデビド・プレストンという男に出会い、親交が深まるにつれてデビドがユダヤ人だと知る。これまでユダヤの血が混じっていることを明かさずにきた彼は、親友デビドに自分の母が正統派ユダヤ教ラビの娘だと告白する。デビドのシナゴーグでの結婚式に母をつれて出席した著者は、伝統的な儀式とイスラエル民謡を聞きながら厳粛な気持ちになり、誇らしく感動するのであった。

オバマ新大統領誕生に至るまでのアメリカの人種的・宗教的差別克服の道程が並大抵でなかったことを、本書を通して、まざまざと実感させれて大きな衝撃をうけた。わが夫・ギルバートは1922年の生まれで、著者の母ルースとは1歳違い。わが夫と同時代にアメリカに生きた彼女の人生は、一層身近なものとして私に迫る。

黒のフロックコートと山高帽に揉み上げを伸ばしたユダヤ教正統派ラビたちの姿は、エルサレムでもニューヨークでも異色に映るが、彼らが人々、とくに白人のキリスト教徒たちから如何に嫌われ差別されていたか、本書を読むまで実感がなかった。ルースは子ども時代、「キリスト殺し」「ジュー・ベイビー」などと言われて酷いイジメと差別に遭った。これまでイスラエルにもユダヤ教にも好感を持ってきた私には、大きな衝撃であった。ユダヤ民族が2000年に亘ってデアスポラ(四散)と迫害の憂目に遭遇し、定住の地を求めたことに同情の念を持つが、このことが今日の中東問題の火種の1つであることを思うと、改めて複雑な気持ちになる。

著者はまた「鏡を覗きこむ少年が感じた痛み」を生々しく表現する。白でも黒でもない顔を鏡に映して少年は苦悩する。著者は母の出自を知らなかった。「ぼくの内部で破裂して出ようとする二つの世界があった・・・自分が何者かを見つけるために、ぼくの母親が何者かを見つけなければならなかった」と彼は記す。普通に生まれてくる子どもたち以上に、国際結婚や異人種同士の結婚から生まれる子どもたちは宿命的だ。私自身アイノコ人生を生き、実父捜しに精力を注いだ時代を顧みて身につまされる。(石垣蔦紅著「父は誰」青磁社2002.バイリンガル歌集「安魂歌」短歌新聞社1999)
「本書を読むと人類の1人であることを誇りに思う」とニューヨーク・タイムス・ブックレビューにあるが、まさに同感である。

(般若湯の会2009年3月12日)   ペリー石垣恵美子

『親の品格』坂東真理子著      PHP新書495 2008

2007年にベストセラーになった『女性の品格』の続編ということで、少子化、核家族化、共働きでむずしくなった親子関係のあり方を、66の例をあげて具体的に語った書である。
「子どもの機嫌を取らない」「みんなで食事をする」「手伝いをさせる」「悪口を言わない」「正しい日本語を使う」「お金の経験を積ませる」「挫折を忍耐強く見守る」「親の介護」「遺言の品格」など・・著者の体験をもとに、新しい考えかた振る舞い方を提案している。
例えば:
・自分の親の名前や職業はたいてい知っています。それでは、自分の四人の祖父母のことは、どの程度知っているでしょうか。立派でなくとも懸命に生きた祖先の命があり、飢饉や疫病や戦争のなかで生き延び、子孫を残してくれたおかげで今の私たちがあります。
・男性のなかには「男は黙って・・」と、家庭で発言しない人がたくさんいます。最近は武士道がもてはやされていますが、武士道は禁欲的なこと、自己犠牲ができること、責任感が強いこと、自己弁護しないことなど、すばらしい面もたくさんある一方、「男は三年に片頬」といって、笑わないで真面目であることをよしとしました。ユーモアを解さず、言葉を惜しむところは、現在に通用しない美徳ではないでしょうか。
・親と子の関係は、高齢化が進むなかでいろいろな段階を経ることになります。幼い子どもを健康に育てるのに全力を傾けるべき時期、子どもの豊かな心、人間性を養うべき時期、社会に交わるマナーやスキルを身につけるべき時期、能力や個性をみずから発見し、磨くべき時期、そして大人になった子と親が大人同士のつきあいをする時期、衰えた親を子の支えを必要とする時期と変貌を余儀なくされています。そのときどきでどう働きかけるのか、どうつきあうのか、どう支えあうのか、新しい親子関係を考えなければならなくなっています。

・夫が仕事で忙しく家事をする時間がない、子どもは勉強だけしていればよい、共働きでも家事は妻だけがしなけばならないという姿をみて育つと、人間として生きていく上で重要な力を身につけられません。その結果、男の子は一緒に人生を歩むパートナーに恵まれず、女の子は共働きは大変だから結婚しないで働こうと思うかもしれません。

著者も指摘しているが、子どもは親の思うようには育ってくれない。子どもは親を択んで生まれてくることはできない。そのなかでベストを尽くしていくところから、品格ある親子関係が生まれる。同感である。
関連して、前選書『母の色は水の色』を参考にしたい。12人の子どもたちを育てた母の生き様は感動的で、ニューヨークタイムス・ブックレビューには「叙情的で深く心を打つ母への讃歌・・本書は母の子にどもたちに対する愛の物語だ」と報じられている。本書『親の品格』にも通じる。関連する2冊の読後感を同時発表できて幸いである。

 

2008年11月13日 般若湯の会にて本の読後感を発表)

『親米と反米―戦後日本の政治的無意識―』
吉見俊哉著 岩波新書(2007年発行)


本書は序章と終章を含めて7つの章から成る。東京大学大学院情報学環教授の著者はアメリカと日本との関係を、黒船到来から日米大戦、戦後から9・11まで歴史的経過の中で分析しながら、論点として3つの課題、すなわち、①消費と暴力、②第2次大戦後の日本におけるアメリカの受容と反発、③アジアにおける問題をあげている。


近代日本における「親米」と「反米」はグローバルな覇権システムと、この国に住まう人々の感情との何層にも及ぶ屈折のなかから形作られてきた。占領期から1950年代にかけては「親米」と「反米」は対立を激化させた。大衆はアメリカ的豊かさに憧れ、その一方で基地という現実を前にして「暴力」として浸入するアメリカニズムに対抗するナショナリズムが台頭した。
1950年代以降、日本はこのような「暴力」としてのアメリカに後景化(本土の脱軍事化と沖縄の要塞化)を示し、忘却へと突き進んだ。70年代半ば以降は、このプロセスの臨界面で「親米」と「反米」が人々の意識に浮上しない時代となり、90年代以降は、一部のネオ・ナショナリストたちの台頭でアジアの人々との真摯な対話や過去の再審を拒否して自己正当化を弁じるようになるが、アメリカとの関係は変わらない。2000年代に入り、ブッシュ政権が強引な戦争を進めるが、小泉首相(当時)は靖国参拝にこだわりながらイラクに自衛隊を派兵し、日米同盟を強固なものにしてアメリカへの軍事的従属の度合いを強めていった。 終章で著者は:時代は大きな一つのサイクルを終えようとしている。ここ数年で全世界に広がった嫌米気分は簡単には収まらず、アジアの人々の間では半世紀にわたって日米の「抱擁」が隠蔽してきた諸問題の問い直しが進んでいる。日本が謳歌してきたポスト帝国的秩序が何かを自明化し、何を見えなくしてきたのかを「親米」と「反米」という二項対立を内破して問い返し、アジアとの、歴史との、そして多様で複数的な自己との、真に反省的な再会を果たしていく必要がある、と主張する
現在アメリカに住む我々、特に私自身は自らの選択で移住したわけだから、基本的には「親米」のはずである。しかしそれは「反米」を内に秘めながらの親米だという気がする。オバマが勝利した今、新たな親米と反米のミックスされた波が押し寄せるのではないか。
天皇に象徴される血統第一主義を誇ってきた日本、政治の世界でも世襲時代となっている日本は、オバマに象徴される「雑種時代」を受け入れることができるのか?日米関係、アジアとの関係で新局面に立たされるとき、アメリカに住む我々は、親米と反米の自己矛盾、自己葛藤が際立つのではないか。まさに歴史的な転換期だと思う。ペリー石垣恵美子。

雑記帳


(2008年10月9日 般若湯の会にて本の読後感を発表)


『ユダヤ五〇〇〇年の知恵―聖典タルムード発想の秘密―』
ラビ・トケイヤー著 加瀬英明訳 講談社

「タルムード」は5000年もの間ユダヤ人の受難の生活をささえてきた知恵の宝庫とされ、全部で20巻、12000ページ、語数にして25000語以上、重量75キロという膨大な書物である。アインシュタインやフロイト、マルクス等をはじめ、すべてのユダヤ人は、不和、争い、苦悩、迷いに直面したとき、必ず「タルムード」で解決してきたという。

著者・トケイヤーは1936年ニューヨーク生まれのラビ(RABBI=ユダヤ教の教師)。1968年に来日し、在日ユダヤ人の生活相談役を勤めながら多くの書を著した。本書の初版は1971年。男女に関する項など示唆に富むが、今回は般若湯の会に相応しい言のみ抄出する。(引用は文庫本1999年第14刷より)

酒が頭に入ると、秘密が押し出される。

ウエイターのマナーがよければ、どんな酒でも美酒になる。

記憶を増進するもっともよい薬は、感服することである。

老化を早める4つの原因。恐れ、怒り、子ども、悪妻。

人の心を落ち着かせる3つのもの。それは名曲、静かな風景、すてきな香り。

人に自信を抱かせる3つのもの。それはよき家庭、よき妻、よき衣服。

酒は、新しいときには酒のような味がする。しかし古くなればなるほど、味がよくなる。知恵も同じである。年を経て知恵は磨かれる。